To me

優しすぎるわたしへ。

努力への考察

 

 

 

大学4年というこの時期に、

わたしは就職活動と、教員採用試験、どちらも頑張った。

どちらも捨てきれなかった。

 

それだけではない。

本の出版にも携わり、

アルバイトもたくさん出勤した。

 

1番の問題だった、教員採用試験の1次試験にとりあえず合格した。

ほとんど勉強しなかった。

せいぜい過去問を2年分解いたか解いていないか、そんなことも覚えていない。

論文試験があることを、当日知った。

論文の字数は、用紙を配られてから知った。

もっと努力した人が、いたはずだった。

努力して合格した人が大半で、

努力しても不合格だった人がたくさんいたと思う。

わたしは、どっちも捨てきれなかっただけで、

ほとんど、勉強をしなかった。

ほとんど、努力をしなかった。

 

それなら大学の3年間まじめに勉強をしてきたかというと、特にしてこなかった。

他の子より勉強する時間も少ないし、だからといって特に焦ることもなかった。

でも、成績の順位はいつも、上から数えたほうが早かったと思う。

 

そんなわたしが、就職活動ではほどほどに努力をした。

幾度となく送られてくる不採用のメール

理由もわからず否定されるわたしの人間性

限界だと思いつつも、ほどほどに努力し続けた。

でも、付き合っていた彼氏と、友達と、家族と会う時間を確保する余裕があった。

そんな余裕もない同級生だっていたのに。

わたしのなにを、努力というのだろう。

 

捨てきれなかった教員採用試験にも応募した。

就職活動に対してした努力こそほどほどだったと思うが、

なにも捨てず、諦めず、

「絶対に後悔しない生き方をすること」と自分との誓いを守るために、

そのためにした努力は、その言葉に恥じないものだった。

 

両立することが難しいと言われているこの2つを見事に両立させた。

大学4年生になってから、わたしは、胸を張れるほどの努力をした。

努力は、報われるべきだと思う。

 

でも、わたしは知っている。

努力はその大半が、報われるわけではないことを。

ほとんど勉強をしていない人間が点数を取り、

一方で、血のにじむ努力をした人間が、点数を取れないこともある。

 

これから2次試験を受ける。

捨てずにわずかでも掴み続けた結果の2次試験だ。

わたしがわたしの人生に誓った結果の2次試験だ。

 

もちろんわたしだって「不合格」の文字は見たくない。

でも、わたしが合格して、どうするのだ。

 

努力は、報われるべきだと思う。

わたしはまだ、履歴書だって書いていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

正しさを問う

 

 

 

正論だけが正しいことですか

正しいことだけが正しいことですか

 

義務を放棄することは、全てが悪いことですか

 

保護者には教育を受けさせる義務がありますが

学校に行くことが苦痛な子どもを学校に通わせることが正しいことですか

 

勤労の義務 納税の義務がありますが

身体と精神を蝕んでまで労働すること させることが正しいことですか

 

辞めることは間違っていますか

自分を守ることは間違っていますか

そこまでして守りたいものはなんですか

 

思い出して

見つけて

忘れないで

本当に大切なもの

 

 

 

思考と傷

 

 

 

「考え深いひと」

周りはわたしのことをそう言う

 

いつも、あたまでは、何かを考えている。それに違和感がなかった。

みんな同じだと思っていた。そうではないようだった。

 

考えすぎだと、もっと気楽に生きなさいと、ママは言った

でも、わたしは、考えすぎる自分が好きだと思った。

こうやって生きてきてよかったと思った。

 

何事に対しても、意見を持っていることに気付いた。

何を聞かれても、大抵なにか話せることに気付いた。

テーマに対して、何も出てこない人が不思議だった。

きっと、なにも考えてこなかったからだ。

 

こころは、みんな同じものをもって産まれると思っている。

傷ついている人も、能天気な人も、はじめは白だった。

育つ過程で、こころは色づいていく。

 

考えて生きてきたわたしは、少しだけ感じやすいこころを持つようになった。

それでも考えることをやめないわたしは、

きっと人よりも、自分の思考に傷ついてきたのかもしれない。

それでも、考えて生きていくことを、少しも躊躇う気持ちがない。

 

人より、多くを考えて生きてきた。

考えることは、豊かさを得ること。

 

人より多彩で、想像力のある人間になりたい。

人の痛みに寄り添える人間になりたい。

わたしは、「考え深いひと」でありたい。

 

 

 

置いていかれた水

 

 

 

 

別に薬が飲みたくないわけじゃないんです。

 

薬を飲みたくないとわがままを言っているわたしを受け入れてほしいんです。

そんなわたしごと、愛してください。

 

 

 「前はよく笑ってたけど、最近死にたいっていう」

傲慢だけど、死にたいわたしごと愛してください。

死にたいと思い続けていることが、わたしの自己統一性。

毎日死にたいと思うわたしだけは、わたしを裏切らないのです。

そんなわたしごと、愛してください。

 

 

愛されたかった

ねえパパ

わたしは小学生のとき、ほとんど100点のテストを見せていたと思う

それに対してあなたは別に何も言わなかったこと、覚えてますか

たまに90点を取った時、怒ったよね

「100点じゃない、完璧じゃない、勉強しろ」ってさ

きっと今妹が100点のテストを見せたら、すごいなって笑って抱きしめるのだと思う

今更羨ましいとか、そういうのではないと思っているけれど

もしかしたら羨ましいのかもしれない

あの頃のわたしは、パパに愛されたかったのだと思う。わたしにも、分かる形で。

100点以上になにをしたら、わたしは抱きしめてもらえた?

パパから感じられなかった愛情は、大きくなった今、ずっと探して歩いてるよ。

でも分かってる あの頃埋めたかったパパからの愛情は、今更埋めたところで無意味なこと  もう遅いこと

 

大きくなって、教育を勉強した今、

やっと言葉にできるようになった やっと求めているものに気付いた

ももうなにもかも遅いなんて、そんなのひどいよね

 

それなのに、こんな気持ち知りたくなかったとは思えなくて

だからこそ目指そうと思った教師という道があるし

この気持ちは経験しないと絶対に理解できないし

それは教師という職業に必ず繋がる。必ず。

こんなわたしにしか理解できない生徒の心が必ずある。救わなければならない。

 

 

「痛い」って言ったら心配してくれる人がいて

「会いたい」って言ったら会いに来てくれる人がいて

できないことを代わりにしてくれる人がいて

大事にしてくれる人がいて

疑うことなくそう思えて

幸せなんだよ

 

でもきっとパパの影を追ってるんだよ

絶対に今この人がいい

でも、それでもパパを追ってる

父性をずっと追い求めてる

 

ねえパパ いまさ 大事にしてくれる人がいるんだよ

 

 

 

600km

 

 

 

 

「知らなければ無いことと同じ」

 

恋人との距離は、「自由」で埋めてもいいし、「束縛」で埋めてもいい。

 

しかし、自由で埋めることは信用なのか、無関心なのか、各個人で解釈の仕方は違うようだ。

 

制約があることは窮屈に感じるだろう。

わたしはその窮屈さとも一緒に、恋愛したい。

お互いをまっすぐ見ているために、必要なことだと思う。少なくとも、わたしにとっては。

 

わたしは遠距離恋愛を何度か経験しているが、そのたびに、遠距離恋愛に必要なのは自由ではないことを思い知る。

遠距離恋愛において自由で距離を埋めることは、どうにも無関心なことのように感じてしまう。

 

恋人がそばにいないさみしさを埋めるためには、やっぱり生身の人間しかないのだ。

それが友達といることなら、いい。

 

相手が今どこでどうしているのか、そしてその情報は真実なのか、確かめる術はどうしてもない。

 

諦める、それしか方法はないと思った。

そしてそれは信用と、どうにも脆い糸で結ぶしかない。

 

「知らなければ無いことと同じ」

 

人は、「遠距離なのにどうして束縛するのか」と聞く。

その意は、どうせ離れているから分からないのに、ということだろう。

分からないからこそ、夜は奪うべきだし、遠距離だからこそ、門限というものが必要なのだと思う。

そしてそれを守ること、守ろうとすること、その気持ちこそがなによりも大切で、それこそ、それこそが、必要なのだ。

 

 

 

 

 

空白

 

 

 

 

「時間てさ すごい緩やかにわたしたちの間を流れていくわけ」

 

 

わたしたち、これから先もやっていけるのかな

5階から見下ろす地面は遠くて、落ちたら多分死ぬなって思った

でも落ちる勇気がないのが情けないところで。

クワで畑を耕しているおばあさんを眺めてるのがやっとだった。

 

迎えにきてくれないかなって思ってるめんどくさいわたしがいたりして

そんなわけないよなって思ったりして

どうせそんなのくるわけないんだ

そんな気の利いたやつじゃないんだ

分かってるのにね。

女ってほんとに、我ながら、めんどくさい。

 

こんな知らない土地に、何があるかなんてわからないから

わたしはすぐに居場所をなくすことができる。

なくしてしまえる。

 

そこにあなたがいなければ、何も無い。

 

帰路につこうか、まだ迷っているわたしに、嫌気がさす。

 

 

 

自己同一性と余白

 

 

 

自分のことが信用できないのだ。

信じたい人を信じる その中に自分はいない。

 

傷つけたくない人を守るために、わたしができること

自分を信用しないことだ

 

いつだってわたしはわたしを裏切ってきたし

これからだって保証することはできない。

ただそんな自分にもひとつだけ守り続けた

守り続けられたことがあって

それは毎日死にたいと思うことだ。

 

そう思うたび、そのことについて、わたしはわたしを裏切らなかった、と安堵する。

わたしにとって、何にも代え難い自己肯定である。

これがわたしの自己同一性。

何にも侵すことはできない。

 

きっとこの世界には、死ぬこと以上の希望があるのだろう。

愛があるのだろう。安寧があるのだろう。

それでもわたしは死を通して世界を見ていたい。

それをわたしは死生観と呼びたい。

 

 

傷つけたくない人を守るために、わたしができること

自分を信用させないことだ

 

複数人を一度に愛せてしまう自分は

器用なように見えて 不器用なのだ。

感情をコントロールできていないから。

対処法は「誰とも話をしないこと」

 

 

そんな自分を もう諦めた自分がいて

わたしはいつも恋人に束縛を求める

それでもわたしは誠実でいたいのだ。

きっと、笑われてしまうのだろうと思う。

 

 

 

言葉を、思考を、思案する。

メッセージ性のない自分の言葉を信用したい。

 

伝えるべき事の全ては綴らない。

それは誤解ではなく、余白

 

 

 

 

 

優しすぎるあなたへ。