To me

優しすぎるわたしへ。

600km

 

 

 

 

「知らなければ無いことと同じ」

 

恋人との距離は、「自由」で埋めてもいいし、「束縛」で埋めてもいい。

 

しかし、自由で埋めることは信用なのか、無関心なのか、各個人で解釈の仕方は違うようだ。

 

制約があることは窮屈に感じるだろう。

わたしはその窮屈さとも一緒に、恋愛したい。

お互いをまっすぐ見ているために、必要なことだと思う。少なくとも、わたしにとっては。

 

わたしは遠距離恋愛を何度か経験しているが、そのたびに、遠距離恋愛に必要なのは自由ではないことを思い知る。

遠距離恋愛において自由で距離を埋めることは、どうにも無関心なことのように感じてしまう。

 

恋人がそばにいないさみしさを埋めるためには、やっぱり生身の人間しかないのだ。

それが友達といることなら、いい。

 

相手が今どこでどうしているのか、そしてその情報は真実なのか、確かめる術はどうしてもない。

 

諦める、それしか方法はないと思った。

そしてそれは信用と、どうにも脆い糸で結ぶしかない。

 

「知らなければ無いことと同じ」

 

人は、「遠距離なのにどうして束縛するのか」と聞く。

その意は、どうせ離れているから分からないのに、ということだろう。

分からないからこそ、夜は奪うべきだし、遠距離だからこそ、門限というものが必要なのだと思う。

そしてそれを守ること、守ろうとすること、その気持ちこそがなによりも大切で、それこそ、それこそが、必要なのだ。

 

 

 

 

 

優しすぎるあなたへ。