To me

優しすぎるわたしへ。

大多数のための自己満足

 

 

 

自分は自分、人は人っていう考え方が強いから、理解出来なくてもふーんって言う。がんばれって思う。


そのうちのひとつがボランティアとかNPOとかっていうもので、お金の絡まない厚意はどうしても信用ができない。

 

自分も見返りなくなにかをすることが出来るけれど、顔も知らぬ多数の他人に何か をするのは無理だ。
でもそれができる人間が集まってボランティアだとかNPO法人だとかが成り立つわけだけれど、どうしても純粋な気持ちだけでやっているとは信じられないんだよね。

信じられないだけで本人はもしかしたらそのつもりかもしれないから、や っぱりまた「ふーん」って言うしかないんだけれど。


それにはきっと学生時代のボランティア募集が影響してる。

「◯◯部は全員参加」とか、「何回ボランティア活動に参加すれば内申点がいくらもらえる」とか、ボランティアって見返りを求めず社会貢献することなのに、

まさにその見返りをぶら下げてボランティアに参加させようというのだ。社会に貢献するという意識は全く持てない。


そういうことをしてる自分が好きだからボランティアをやってるんだろ、って言うのが理解できない側の認識ではある。

でもそれだけじゃなくて、無意識に優越感を感じてるんじゃないかと思う。

大抵ボランティアは受け身でしかいられないものや弱者のために行われると思っているから。


この間わたしも全然知らないインターネットの人に食料を送ったりしたけれど、 やっぱりそれも「そういうことをできる自分でいたいから」っていう自己満足だった。

ひとまずボランティアをする人は、それが自己満足ということは認めるべきだと思う。

というのも、自分がどこかで利害関係がなしに成り立つものは限りなく少ないと考えているから。

その「利」は経験だなんて青臭いのはひとまず置いておくとし て。


結局さ、偏見が多いこの時代にお金の絡まないボランティアなんて慈善行為、手放しには信じられないんだよね。

それはきっと、心がきたないからなんだろうけどさ。

 

 

 

 

    

 

優しすぎるあなたへ。