きみが腕を切る理由
死にたいからじゃない。
助けてもらいたいからだ。
腕を切っても死ねないことは、分かっているはずだ。
アピールがうざいだとか、気持ち悪いだとか、死にたいなら死ねとか、そういうことは言われてきただろうし、これから言われるだろう。
でも知っていてほしい。
きみには必ず味方がいる。
この世界のどこかに、必ず。
もし「誰もいない」と思うのなら、わたしがなろう。
きみの気持ちを聞かせてほしい。
どんなことでもいい。
誰がきらいだとか、好きだとか、何をされたとか、してしまったとか。
断言しよう。きみの悩みは一過性のものだ。
きみが今死にたいと思っているのも、一過性のものだ。例外はない。
ただその期間を、ひどく長く感じてしまう。
きみの前にはまだ道が続いているのに。
今きみが信頼できる大人にその気持ちを委ねてくれるのなら、きみは生き長らえる。生き長らえてしまうのだ。
信頼できる大人がいないと思うのなら、わたしに委ねてほしい。否定しないし、裏切らないことを約束する。
ひどくつらいことに聞こえるかもしれない。
希望など見えないのだろうと思う。
ほかの人は平気でも、自分だけは無理だと思うのだろう。
そうしてきみは死にたい気持ちを抱えて、
死にきれず、生きる。
今きみが辛いのなら、わたしに話してほしい。
泣いてもいい。腕を切ってもいい。
わたしはそれを受け止めるし、笑ったりしない。
それでもきみが死にたいと思うのなら、わたしはそれも受け止めたいと思う。その気持ちごときみを抱きしめようと思う。
大丈夫、きみは大丈夫だ。
今までよくがんばったね。